〜スネークさん・井上さんよ、永遠に〜

  • 2016.11.27 Sunday
  • 21:20

 

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。三年目多賀です。

全日が終わってからやれ来年の抱負やら意気込みを書こうとしたらWi−Fiが突然切れ、記事が消えてしまい、そこから放置していた三年目多賀です。

 

そして艇庫ブログ改変の流れに巻き込まれ、すぐ二週間後にまた担当が回ってきます多賀です。こうご期待!

 

 

さてさて、全日が終わって早二週間。東北大学漕艇部は偉大な先輩が引退しました。【スネークさん】こと鈴木駿介さん、【みくたそさん】こと井上未来さんです。艇庫は寂しい雰囲気に包まれています。今月はアメリカ大統領がトランプ氏に決まり、井上さんとスネークさんが引退し、キューバの革命家カストロ議長が亡くなるという世界が大きく動く一か月でした。

 

 

そこでスネークさん・井上さんとの個人的な思い出をつらつらと書いていきます。のほほんとしたブログもイイですよね!!!

 

 

 

 

 

スネークさん

 

 

 

私がスネークさんと出会ったのは自分が1年生の秋。スネークさんは4年生のラストシーズンでした。

当時練習グループは上からABの2グループに分かれていて、私とスネークさんは同じBグループでした。

スネークさんはあまり前に出るのが得意なタイプではないと、私は勝手に思っていました。

しかしスネークさんはBグループ唯一の最上級生として、サーキットでは誰よりも声を出し、ミーティングではリーダーシップを取って自分たち未熟な1年生を引っ張って行ってくれました。

 

そしてスネークさんはBグループから這い上がって、お花見ではセカンドクルーの4+に乗り、決勝に進出しました。

普段温厚なスネークさんが艇上で熱く漕いでいる姿は最高にカッコよかったです。

 

そして5月、軽量級の2nd8+で私とスネークさんは同じクルーとなりました。しかし、スネークさんはレース直前に怪我をしてしまい、レース本番は怪我を押しての出場でした。

 

そしてその怪我の影響からか、その後の測定も振るわず、また私と同じBグループに戻ってしまいました。

 

自分たち後輩にレース経験を積ませるため、自分のラストシーズンに影響が出ても一緒に大会に出てくださったスネークさんには、

大変申し訳なく、そしてありがたく思っています。自分がレースに出られるのは、自分一人の力によるものじゃないんだと、ONE FOR ALL ALL FOR ONE という言葉がこれほど当てはまるスポーツがあるのだろうかと考えさせられました。スネークさんと軽量級に出て学んだことは、私の中で大変大きな財産となりました。

 

そして6月、東日本選手権でまた私とスネークさんは同じクルーとなります。2nd4+、スネークさん以外全員二年生。私の整調デビュー。COX夏目。懐かしいですね笑 練習で漕ぎながら喜多にブチ切れて4ストローク位にまたがって叫んでたのも、レース本番のラストスパートで後ろ3人を置き去りにしたのも良い思い出?です

 

そして8月、インカレを迎えます。自分にとって初めての、スネークさんにとっての最後のインカレでした。

結果は1Xのスネークさんは敗復落ちし、自分は最終日に残りました。1年間、前に出るのが苦手そうなのに一生懸命Bグループを引っ張り、体を張って自分にレース経験を積ませてくれたスネークさんこそ、最終日に残って欲しかったです。

 

そしてその後冬になり、またコーチとして部に携わって頂きました。スネークさんを見ると、自分もしっかりしなければ!と思います。来年のインカレ・全日本でスネークさんにカッコよいところを見せられるように、この冬頑張ります!

 

 

 

 

井上さん

 

 

井上さんと出会ったのは私が入部して2日目の昼休みでしたね。

「あー。あの人ボート部パーカー着てるけど、話したことないしなー。人見知りするわー。恥ずかしいわー」とか思ってたらなんと!井上さんから!「あ!昨日入ってくれた子じゃん!」と話しかけてもらったことでしたね。

それから「なんて気さくな先輩なんだ!」と僕は大いなる勘違いをして半年間過ごすことになります。。。

 

 

スネークさんで頑張り過ぎたので残りの思い出は箇条書きで書きます。

マジメな記事は西原がカメちゃんに書いてくれるでしょう。

 

 

・現役合流後、一個上の女子の先輩は荒井さんとは話すようになるも井上さんとは会話をほぼせず、というか同期の9割が井上さんと話すことなく2年生になる。

・色んな人と仲良くなりたい僕、思い切って井上さんの近くでエッセンを食べてみる。

・多賀「井上さん好きな食べ物なんですか?」

井上さん「炙りエンガワ」

多賀「炙りエンガワですかwww井上さん面白いっすねwww」

井上さん「何?(半ギレ)」

多賀「あ、なんでもないっす。」

 

・多賀「井上さん、掃除丁寧にやってますね!キレイ好きなんですね!」

井上さん「何?(半ギレ)」

多賀「あ、なんでもないです。」

 

・井上さん「多賀と私の心の距離、6艇身半。」

 

・井上さん「多賀、目開けろ」(僕は普通に目を開けている)

・井上さん「多賀、口閉じろ。そんで私が良いって言うまで動くな」(その後3分間停止)

・井上さん「多賀、キメ顔しろ」

多賀(`・ω・´)キリッ

井上さん「フッ」

 

・小湊「井上さんって感情あるんですか?」

井上さん「お前と一緒にするな」

・井上さん「実は小学生の時、お祭りで和太鼓叩いてた」

 

・多賀「井上さんの良いところ山手線ゲームイエーイ!」

一同「イエーイ!」

小湊「カッコよい」

小湊「優しい」

小湊「素晴らしい」

小湊「クール」

多賀「首が長い」

小湊「大きい」

小湊「強い」

井上さん「おい。」

 

・小湊「井上さんをひらがな一文字で表すと、、、‘’も‘’」

・小湊「石井勇輔と井上さんは絶対に『初めてのおつかい』とか嫌い」

・小湊「ヒロシさんと手繋いだら、きっと幸せな気持ちになるんだろうなぁ」

・おーねたさん「井上さん、就活を通じて雰囲気が丸くなった。」

 

・小湊「井上さん素晴らしい」

多賀「確かに。例えば?」

小湊「外見は立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」

多賀「中身は?」

小湊「大胆かつ繊細」

多賀「欠点はない感じ?」

小湊「欠点がないところが欠点かな」

多賀「じゃあ新勧でペアのオレに何かアドバイスを」

小湊「頑張ってください」

多賀「どう頑張ればよい?」

小湊「それはわからない」

多賀「井上さんの新勧の武器ってなんですかね」

小湊「もう許して」

小湊「僕は井上さんを語ることすらできない。そういうレベル」

小湊「あと、この会話バラしたら怒る」

 

 

これ以上やると怒られそうなので止めておきます。

 

このブログの読者の方々にはっきりと言っておきたいことは、

 

井上さんは本当は優しい

 

ということです。誤解しないでください。

 

 

井上さんは  本当に良い先輩です!!!

 

どうか、誤解無きようにお願いします。そして今僕は、実はこのような内容を書かないと酷いことをすると闇の組織に脅されながらこの井上さんの記事を書いているんです。僕は本当は優しくてステキな井上さんを書きたかったんですけど、本当にごめんなさい。

 

きっと優しい女子部の後輩たちが上手くフォロー?してくれます。

というか、一週間くらいひたすら井上さんの良いところ縛りの内容のブログが続くと思います。

どうか女子部、特に西原!なんとかフォローしてくれ。。。

そうしないとオレは井上さんに殺されてしm

 

 

 

fin

 

【お知らせ】艇庫ブログの更新方式について

  • 2016.11.27 Sunday
  • 13:45

日頃より東北大学漕艇部艇庫ブログをご愛読いただきありがとうございます。


主に部員間のバトンにより更新されていたこのブログは、今年の12月をもって当番制へと変わります。


より艇庫ブログを楽しんでいただくために2日おきを目安として更新いたします。ご期待ください。


毎週日曜日に週の当番を公開いたします。12月1週の当番は、

12/1(木) 喜多(3)
12/3(土) 堀池(1)

です。


それでは、艇庫ブログを今後ともよろしくお願いいたします!

夏目友人帳

  • 2016.11.25 Friday
  • 18:51
俺は山猫。狙った獲物は逃さない お久しぶりです。マイクこと夏目です。嘘です。山猫です。

レースの朝にたまに寝たまま叫びます。夢で一体何があると言うのか

そこは学校の教室で、私はそこにいました。そこの一机にいたのは、蛍光色の芋虫。ですが、大きさはキャリーバッグくらいある。そして不気味なことに、顔が人間のようであるのです。顔ははっきり覚えていないのですが、こちらが怯えているのを嘲笑うかのように笑みを含んだ顔をしているのです。

怖いなあ、怖いなあ、と思いながら、私はその場を離れて、一歩ずつ後ずさりをするのです。私は芋虫はどうも子供の頃から苦手でした。まずあの形。地面をうねうねしながら動くあの肉のような柔らかい様な肢体は、小さいながらも感じる大きな存在感は私の心に恐怖をあたえていました。

とにかくその場から逃げたかったのです。私がこういう行動に出たのは単純に芋虫が嫌いだという理由からではありません。周囲には人がいました。夢の中なので、人がいるのはもしかして今日あった人を脳が整理しているからなのかもしれませんが、今回の夢は違ったのです。みんな黒いのです。シルエットのように黒くそして彼らは私がなぜ怯えているのかを不思議に思うのです。私もそれについて弁解しようとしましたが、その時はなぜだか口が動かなかったのです。 そこへ、背広を羽織ったこれまた黒い人が現れます。彼はこの状況を把握するやいなや、私に対し「どうしたのかね」と伝えてくるのです。 私はそこで何かの糸が切れました。 彼らを背に全力で走りました。 教室の扉を開け、廊下を走りました。そこで不意に後ろを振り返ったのです。背広の黒い人が芋虫を私めがけて投げてきたのです。

そこで夢は途絶えました。

「先輩、叫んでなかったすか?」

すまそ

新幹線に乗るときに聴く前前前世の清々しさは異常

  • 2016.11.13 Sunday
  • 20:43
随分と遅くなってしまいました。すみません。4年目の佐藤高士です。
題名はインカレ前に新幹線に戸田入りしたときの感想です。(他意は)ないです。

次は多賀くん書いてみようか。


3日くらいに分けて思いついたのを書いたものです。クオリティはしりません。ととりあえず予防線をはっておきます。


インカレが終わり、漕手を引退してから一ヶ月以上経ち、生ローで漕いでいたときが嘘のような寒い日が続いているなか、これを読んでいる皆様がたはいかがお過ごしでしょうか?

練習メニューはいよいよ冬の漕ぎこみの様相となりました。
冬のこの時期はとても辛いです。体力的にはこの時期が辛さのピークでしょう。

冬の時期はレースが無く、目標を見失いがちです。
「あれ?俺なんで漕いでんだっけ?」そう思う経験は冬のあいだ、何度も訪れるものです。

その年のインカレ、全日で明確に個々の課題が明らかになった2年目以上の上級生は その「課題の克服のため」、ひいては「来シーズン、インカレ・全日で勝つため」という大きな軸があるので迷走こそすれど完全に目標を見失うことはないと思います。

しかし、インカレ・全日を実際に経験していない1年目はどうでしょうか。


「練習は辛いばかりで、全然楽しくない。」
そう思うのは普通かと思います。
自分も、いつの日か先輩に言われました。

「ボート部は辛いのが9で、楽しいが1」

四年間やってみましたが、僕は少し違うように思います。

確かに「辛い」と「楽しい」の時間の比はそんな感じです。合ってます。
しかし、量となると話は変わります。
自分が特にボート楽しいと思った瞬間は
「3年目の東日本レガッタの予選」
「3年目のインカレ順位決定」
そして
「4年目のインカレ順位決定」
です。この3回に4年間の「楽しい」の9割9分が詰まっています。

これまでの人生で見てみても、
「高校入試に受かった」
「大学に一浪の末受かった」
に勝る瞬間でした。

このような瞬間はボートでなくても味わえるのかもしれません。しかし、そのような人も機会も多くないはずです。部員の方がたが一番手に届くのはボートでしょう。


日々の練習は辛いです。これがずっと続くのかと思うと心が折れそうになります。練習のメニューは同じものの繰り返しでしょう。でも自分自身はそうではありません。今日の自分と明日の自分は違います。

現DeNAラミレス監督の言葉に
"Tomorrow is another day."
と言う言葉があります。
「明日は明日の風が吹く」のニュアンスに近いのではないでしょうか。多分ちがうでしょう。
「なんだ当たり前のことじゃん、何言ってんだ」と思う人もいるでしょうが、この生活を続けるには結構大事な考え方だと思います。

同じようなメニューを同じクルーでこなしても全く同じにはなりません。調子のいいときがあれば悪いときがあります。 クルーボートなら他のクルーの調子もありますから、より複雑になります。
どんなにその日艇が走らなくても、どんなにその日の練習が辛いものだったとしても、日々工夫していけば、毎モーション毎モーション乗り越えていけば、明日はきっと良いものになります。
ずっと今の辛さが続くのではありません。今の自分と明日の自分、一年後、二年後の自分は少しずつでも違っていて、自分が変わるのなら、感じる辛さも変わるでしょう?(まぁ、何年やってもキツイものはキツイのですが…)

何かにつけて行動に意味を求める人がいます。なんのために勉強するのか、なんのために学校に行くのか、なんのためにエルゴを引くのか、なんのために練習するのか、 わかっています。

より良い人生を送るためにやってるんだ、やりたいからやってるんだ、勝ちたいからやってるんだ。
でもたまに見えなくなる。疑問が生じる。このままでいいのか?このまま4年間過ごしていいのか?このままで… 考えれば考えるだけドツボにはまる。底なし沼…悪い方向にしか進みません。 そんな日は早く寝て忘れましょう。単に疲れてるだけかもしれません。人に話しましょう。信頼できる人に。吐き出せば楽になります。言葉にすれば自ずと考えが整理されます。
とりあえずエルゴひきましょう。身体を動かせば、スッキリします。え?エルゴを見るのもムリ?それならバイクでもランでも可です。仙台の街を走り回るのもいいんじゃないですかね?僕は走り方が悪いのか自重からかすぐ足が痛くなるのであまりやったことないですけど。

とにかくそんなこと考えるだけ無駄です。そもそもなんでもかんでも行動に理由を求めますか?将来のためにとか考えながらゲームやったりするひとがいますか?意味なんてそんなに簡単にわかんないですよ。将来、未来の自分があの時のことを振り返って、「あの時は意味あったな」ってやっと分かるくらいじゃないですかね。これに関しては今の僕にもわかんないので想像ですけど。意味があるかどうかは今の自分がきめるのではなく、将来の自分が決めることです。それに関してアレコレと考えても何にもなんないと思いますよ。


僕の個人的意見ですが、部活をやる動機が「同期と一緒に居たいから」とかでもいいと思っています。「同期と一緒にいたい」という気持ちは「こいつらと日本一になるんだ」とほぼ同じだと僕は思います。同期のためにと思って頑張っていくうちに、「自分が」勝ちたいからやるんだ!ってなっていくのではないでしょうか。
僕の場合はそんな感じでした。結局「自分のために」ってのが一番強いんです。「自分の同期のために」とか「自分の先輩、後輩のために」みたいに「自分」と「ために」の間になにかついていると溶接したところが弱いようになにかあった時に崩れてしまう。あいだになにもなければ一本の鋼のような強い意志になります。「自分以外の何かのために」で頑張れるのなら無理に変える必要はないです。でもいつかそれじゃ頑張れなくなったとき、「自分」と「ために」の間のものを捨ててみてください。きっと違う景色が見えるはずです。



この前のインカレで初めて後輩たちとのインカレで、いろいろと思うことがありました。特に自分以外上級生のクルーで堂々と臆することのない堀池をみて、自分もその姿勢を見習いたいと思いました。自分も漕手を引退して研究室でもなんでも新しいことだらけ、分からないことだらけです。正直、大変なことだらけです。まず、知識量が圧倒的に不足しています。それでもやらなきゃ卒業できない以上、やるしかないんです。思うだけなら誰でもできます。実際にやるのはとてつもなく難しい。だから少しずつ少しずつでも近けるよう、これから一層努力していきます。


長くなりました。まぁ以前のうえりさんの記事の方がはるかに長いと思うんで大丈夫でしょう。と思ったけどそんな長くなかったですね。うえりさんどんだけ書いてんだよ…

あくまで僕の個人的な意見をつらつらと書いてるだけなので気に入らないからってガチギレしないでください。

と予防線をはったところで失礼させていただきます。


4年目 佐藤高士

メデュさんのひとこと言わせて!艇庫ブログver.

  • 2016.11.02 Wednesday
  • 07:33
皆さま、こんにちは。
現在学生コーチをしています、5年目の堂谷です。

ブログ書くのはカメちゃんぶりです。
知ってる人は知ってますが、ブログ書くのは苦手です…「俺はどっちもいけるんすよ( ̄ー ̄)」とドヤ顔していた小貫くんとは違って、真面目な話も面白い話も私は書けませんが、せっかくけーたろーが回してくれたので、今日は私がよく実行してるルーティン?について紹介します。

大学入試を控えた高校3年生のとき、日本史の先生は日本史の話以外にもいろいろ教えてくれました。(ちゃんと日本史も教わりましたよ笑)その中で教わったことの一つです。
入試の半年ほど前に、先生から「これから毎日、"強気"って1日30回口に出して呟いてみな。」と言われました。別に場面を区切る必要はなくて、トイレの中とかお風呂入ってるときとか、「強気強気強気強気…」と20回くらい連続で唱えれば良いとのことです。回数は適当ですが言えるだけ言えば良いと。
私はこの話を聞いてから、受験期はこの変なルーティンを実行してました。というか、今でもよくやってます…先生の授業を受けてた他の友人たちも、一緒になって皆で呟いていたので、かなり宗教じみてました(笑)自覚はあります(^◇^;)

要するに、言霊の力ってやつです。
言葉に出していれば、その人の考え方や気持ちに大きく作用するものなんだとか。一種の洗脳…です!汗 先生が話してくれたのは受験の半年前でしたが、言霊を発揮するためには、少なくとも3ヶ月程度は必要…らしい。
そうして私は隙間をみつけてはブツブツと呟き(結構怪しい)、センター試験当日は、日本史受けてた友人たちと皆で会場でも「強気」を合言葉にして試験に臨みました。もちろん結果は人それぞれでしたが、個人的に会場の雰囲気にのまれて…というようなことはありませんでした。まあ、周りが同じ高校の人ばかりで安心出来たのもあったのかもしれませんね。
でも、あまりセンター試験の出来が良くなかった私が、東北大を受験する決心をつけられたのも、先生からの「何言ってるの?"強気"でしょ?」という一言のおかげです。最後に人からの言霊に押されましたね。
この変なルーティンを行い始めてから、試験やレースのときに変に緊張して弱気になることは少なくなったかなと感じます。

言霊は、ポジティブな方向だけじゃなくて、ネガティブな方向にだって働きます。再び先生から教わったことですが、だから"頭文字D"は禁句です。これを某部員に言って「ドラ○もんとかですか?」って返されたときはすごい笑いました)^o^( 先生の言う頭文字Dとは、「でも」「だって」「どうせ」。つい言い訳をしてしまう、弱気な発言に繋がってしまいがちな単語のことです。

このブログを見てる人、騙されたと思って、「強気」の習慣つけてみませんか?笑 別にずっとポジティブである必要もありませんが(むしろしんどいですね)、苦しいときに上を向く力は大事だと思います。かく言う私も、ついついどんよりしちゃうこともあるので、先生から教わった言霊の力を、しばらくは信じてやっていこうと思います!

ということで、久しぶりのメデュさんでした。ありがとうございましたm(_ _)m
次は夏目に回したいと思います、よろしく〜!

柴生田敦子様お食事会

  • 2016.11.01 Tuesday
  • 10:59
こんにちは、3年主務の廣瀬です。

昨晩、柴生田先生(S19入学)の奥様、敦子さんにお招きいただき、4年学生コーチ松浦、3年主将松田と私の三人で、お宅に伺いました。

敦子さんと三女の桂子さん、その娘さんの杏子ちゃん、柊子ちゃんにもてなしていただき、ローストビーフや鮭のグラタン、鶏肉のトマト煮、ひじきの煮物や炊き込みご飯、お赤飯…等、美味しい手料理をお腹一杯御馳走になりました!

昔のボート部の話から震災時の話、政治や中高生時代の話まで、いろいろなお話をしてくださいました。

桂子さんが子供の頃は夕食の時間になるとボート部員が誰かしら突然来ており、家族だけで食事をとることは珍しかった、というお話や、柴生田先生が病院を開業した頃、大学のお偉いかたに寄付をすると声をかけてもらったことがあり、そのとき先生は迷わず「その寄付はボート部に」、と仰ってくださったお話などを聞き、ご家族でとても長きにわたりボート部をご支援くださっていることが身に沁みました。
他にも、忙しい生活のなかでも政治に関心を持たないといけない、自分を取り囲む環境に疑問を持たずなんとなく流されてしまうのは危険なこと、という敦子さんのお話はとても心に残りました。

なにより、温かい家庭を感じ、最後には珈琲とアップルパイまでいただき、幸せなひとときを過ごさせていただきました!

後列:杏子ちゃん、松田
前列:柊子ちゃん、敦子さん、松浦
撮影:廣瀬


本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

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